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東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)155号 判決

原告 岩崎孝生

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告は、「特許庁が、昭和五七年審判第一一六四八号事件について、昭和六〇年七月二三日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

二  被告は、主文同旨の判決を求めた。

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五二年九月一〇日、名称を「繊維ペン」(後に、「筆記具書記部の乾燥防止装置」と訂正)とする発明(以下、「本願発明」という。)につき特許出願をした(同年特許願第一〇九一九四号)。同出願は、昭和五六年二月三日に特許出願公告された(同年特許出願公告第五一九九号)が、特許異議の申立があり、昭和五七年二月一九日に拒絶査定がされたので、原告は、同年六月九日、これに対し審判の請求をした。特許庁は、同請求を同年審判第一一六四八号事件として審理した上、昭和六〇年七月二三日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年八月一四日、原告に送達された。

二  本願発明の特許請求の範囲

首部の先端に書記部を取付けたインク管をインクがなくなると軸筒より外して取替える通称カートリツジ・タイプのインク管Aで、首部1に空気孔4を開け、首部1に続く後方に嵌合筒部6を形成し、且つ先端軸筒7には嵌合筒部6を気密的に嵌合する嵌合孔部10を形成して気密に嵌合し、空気孔4をして軸筒7内の通気を遮断し、且つキヤツプG内にゴム、合成樹脂等の弾力資料で形成した肉厚の内筒11を嵌入し、この内筒11の中央に下端面より細管2、書記部3が挿入できる凹部12を形成すると共に、下端面には凹部12を中心として凹部12より大径の嵌合筒14を設け、嵌合筒14の内周面の開口部に近く環状突部15を形成し、又先端軸筒7の先端外周面に設けた環状突起16を前記嵌合筒14の環状突部15を越えて嵌合すると共に先端を凹部12の開口部に当接して凹部12内を密封して書記部3を収納した凹部12内の空気の流通を遮断して空気孔4による書記部3の乾燥も防止して成る筆記具書記部の乾燥防止装置。

三  審決の理由

別紙審決書写し該当欄記載のとおり、審決は、米国特許第三五五四六五八号明細書(以下、「引用米国特許明細書」という。)、実公昭五一―九三一六号公報、実開昭五二―一一八〇三七号公報を引用し、本願発明は右各引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであつて、特許法二九条二項により特許を受けることができない、とした。

四  審決を取り消すべき事由

1  引用米国特許明細書は、特許異議申立手続において、異議申立人が証拠として提出したものである。引用米国特許明細書は英語で書かれたものであるが、翻訳文は添付されていなかつた。

2  特許法施行規則二条は、「外国語で書いたものには、その翻訳文を添付しなければならない。」と規定している。したがつて、本件の異議申立手続は違法である。

特許法一七条二項は、「手続がこの法律又はこの法律に基づく命令で定めた方式に違反しているとき」、特許庁長官又は審判長は、相当の期間を指定して、手続の補正をすべきことを命ずるよう規定している。そして、同法一八条一項は、この補正をしないとき、特許庁長官は、その手続を無効にすることができる旨規定している。

審決は、特許異議申立手続が右補正を命じなかつたため違法であることを看過し、これについて一言も言及していないのであるから、審決は違法として取り消されなくてはならない。

第三請求の原因に対する認否、反論

一  請求の原因一ないし三及び四1の事実は認める。同四2の主張は争う。

二  審決に原告が主張する違法はない。

1  特許異議申立において、証拠として提出した外国刊行物に翻訳文を添付しなければならないとする法令の規定はなく、本件特許異議申立の手続が違法となる法的根拠はない。したがつて、審決が特許異議申立の手続の違法性に言及しないのは当然であつて、審決に違法はない。

特許法一七条二項は、補正を命ずることを特許庁長官又は審判長の裁量によるとしているのであつて、補正を命じないからといつて、直ちに手続が違法となるものではない。

2  原告(特許出願人、審判請求人)は、特許異議の申立に関して、異議申立人の提出した引用米国特許明細書を含む証拠の内容を検討して答弁し、また、審判手続において、昭和五七年七月八日付審判請求理由補充書を提出し、本願発明と引用米国特許明細書の記載内容について実質的に意見を述べている。審判官は、このような意見も検討して審決をしたのである。

したがつて、引用米国特許明細書に訳文が添付されなかつたとしても、このことは原告の不利益につながつていない。

第四証拠〈省略〉

理由

一  請求の原因一ないし三及び四1の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決取消事由について検討する。

特許法施行規則二条二項は、「委任状、国籍証明書その他の書面であつて、外国語で書いたものには、その翻訳文を添附しなければならない。」と規定する。そして、同施行規則三八条、五〇条によれば、特許異議申立人が提出する証拠方法としての文書も「書面」であることが明らかであるところ、本件引用米国特許明細書のように、特許異議申立人が証拠方法として提出した書面に同施行規則二条二項の適用を排除すべき法令上の根拠はない。しかも、特許異議申立人が右規定に違背し翻訳文の添附を怠つた場合、これがため特許出願人において右書面の内容を理解することができず適切な答弁をすることができないときは、実質的に特許出願人に不利益を及ぼし、特許法五七条が相当の期間を指定して特許出願人に答弁書を提出する機会を与えるべき旨規定し、同法五八条一項が右の期間が経過した後に特許異議の申立について決定しなければならない旨規定している趣旨に反することになることは明らかである。したがつて、特許異議申立人が外国語で書かれた書面を証拠方法として提出する場合にはその翻訳文を添附しなければならないというべきである。

もつとも、翻訳文の添附がなくても特許出願人が右書面の内容を理解することができるときは同人に前述のような不利益を及ぼすおそれはないので、特許庁としては特許異議申立人に対し直ちに特許法一七条二項により手続の補正を命ずる必要はないが、特許出願人が答弁書等で翻訳文の提出を求めたときには、それが不当の目的によるものと認められない限り、特許異議申立人に翻訳文を提出するよう手続の補正を命じ特許出願人に前述の不利益が生じないように処置しなければならないと解するのが相当である。

ところで、本件においては、引用米国特許明細書に翻訳文の添附がなかつたことは前示のとおりであり、その補正もされなかつたことは弁論の全趣旨に照らし明らかであるが、原告が特許異議申立手続において翻訳文の提出を求めた事実は認められず、かえつて、成立に争いのない乙第一、第二号証によれば、被告が主張するとおり、原告は、特許異議申立手続において特許異議申立人の提出した引用米国特許明細書を含む証拠の内容を理解した上で答弁書を提出し、審判手続においてもこれを理解した上その記載内容について実質的に意見を述べていることが認められる。したがつて、前叙各規定の趣旨に徴すれば、引用米国特許明細書の翻訳文を提出するよう特許異議申立人に手続の補正を命じなかつたことは違法ではないと解すべきである。

以上のとおり、原告主張の審決取消事由は理由がなく、その他審決にこれを取り消すべき違法の点は見当らない。

三  よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧川叡一 牧野利秋 清野寛甫)

別紙〈省略〉

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